ネットワーク上で人間の体を完全にメタファライズするには,256ビットCPUが,扉となる。たとえ誰も望んでいなくても,そこまでの進化はワイヤードのロードマップ上にある。
32/64ビット技術ハイブリッドで牽引役になることを狙い,AMD社はコムデックス/秋でラウンドテーブルセッションを開いた。だが私たちは今,64ビットCPUを必要とはしていない。まず64ビットコンピュータありき,という空論にすぎない。
AMDが64ビットのことばかり口走るのは当然,作戦だ。AMDはチッププロセスの変更により,若干インテルよりも低いプロセッサスピードを余儀なくされている。「2700+」として2.7GHzと同等の能力を持つと訴えているが,実際のクロックスピードを聞かせてしまうと低いレッテルを貼られてしまう。ユーザーはそのレッテルを重視する。IBMやモトローラのチップも同じくいくら能力が高くても,クロックスピードが低ければその能力を信じてもらえない。能力よりも,数字の方が大事。だから,32ビットではなく64ビットを押す。押し続ける。それが市場で勝つために唯一必要なこと,とAMDはわかっている。
実際のところ,64ビットを必要としている人は,記事にある通りコンシューマーにはいない。だが,アップルが再来年にはすべて64ビットに移行すると予想できるのは,それがいつものことだからだ。8ビットのときに16ビットにならないとなにもできないと思っていた人間はいなかった。16ビットから32ビットのときもそうだ。またはまったくの別物として利用されていた。NECのPC-88でゲームをしていた人には,PC-98の事務処理能力はてんで必要なかった。そして今も,すべてがネットワーク端末でしかないパソコンで,同じ用途でのステップアップとなる64ビットはあまり魅力がない。でも,それでしか拡張できないことがある。そのときの未来に向かって,64ビット化は必然なのだ。
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